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2001年08月『世界聖なる音楽祭』

 6月1、2、3日、広島の南海に浮かぶ宮島で、「世界聖なる音楽祭」が開かれました。これはもともとダライ・ラマ14世が提唱したものです。世界平和を達成するためにいろいろな方法がありますが、音楽祭をやるということもひとつの方法で、その平和のために開かれたのが、この世界聖なる音楽祭です。これまでも世界各国でやってきていて、アメリカや、インドでも開かれていて、今回はじめて日本で開かれました。世界中から優れたミュージシャンたちが集まって演奏しましたが、たとえば、インドネシアのガムランやインドのラジャスタン、オーストラリアのアボリジニ、あるいはモロッコや沖縄など、よく知られている民族音楽者っだったり、最近のテクノポップス的なミュージシャンたちが一堂に集まりました。

 総合プロデュースをしたのが近藤等則さんといって、有名なジャズ・トランペット奏者ですが、最近はこうしたいろいろなスピリチュアルなものを手がけています。たまたま私は『未来を開くあの世の科学』という本の推薦文を書いていただいたのがご縁でこの音楽祭に招かれ、ミュージシャンとして参加して来ました。

 メイン・ステージは、海の中に建っている鳥居の側に、5000人ほど入る新たな大きなステージが作られ、著名なミュージシャンたちがそこで演奏しました。その他に4つのサブステージが設けられ、私はそのサブステージのひとつである大聖院というお寺でオープニングをやりました。

 大聖院というのは真言宗のお寺ですが、ものすごくきれいなお寺で、ひとつひとつの建物がたいへんエネルギーが高い構成になっています。宮島にこうしたお寺があるというのは私も知らなかったのですが、じつに素晴らしい場所でした。

 ここで私は、みなさんに瞑想に入っていただいて、「ひふみよいむなや」と息を数える声を出してもらい、その声に乗ってケイナで即興演奏をするといういつものスタイルでやったのですが、たいへん気持ちよく演奏することができましたし、来場された方々にも満足していただけたのではないかと思います。

 メイン会場では、ダライ・ラマのメッセージがビデオで流されていましたが、そこでダライ・ラマは、世界平和を達成する方法がいくつかあるいうことを言っていました。瞑想するのもそのひとつ、そしてまた音楽や芸術を通 じてやる方法もあると。私の場合は瞑想と音楽の両方をやってしまったわけですが、そのビデオを見たほとんどの人は「瞑想をすることによって、世界平和に向かう」ということが、理解できなかったのではないかと思うのです。

 私は会場でその解説をしましたが、今日もそのことをお話ししたいと思います。

 瞑想とは何かといいますと、瞑想に入った人の心は平安になり、涅槃の状態に近づきます。そこで集団で瞑想に入ることによって、その心の平安が他の人にも影響を与える、ということがよく言われています。これは近代科学ではちょっと考えられないと思いますが、人間の深層心理はみんなつながっている、というユング以来の集合的無意識の考え方に基づくと、それは荒唐無稽な考え方ではなくて、そういうこともありうるのです。

 去年、私はアメリカインディアンの祈りの儀式であるパイプセレモニーをやってよろしいという許可をもらい、聖なるパイプをインディアンの長老からいただいたのですが、そのいただいたときの儀式で、「残りの人生を人々の心の平和のために尽くします」と、うっかり言ってしまい、現実に、そのとおりにだんだんなってきているなと感じています。

 パイプセレモニーというのもひとつの瞑想ですが、私の師匠であるインディアンの長老は、私に何度もこういうことを言いました。

 「ここでパイプセレモニーをやって、参加しているみんなの心の平安が得られれば、それはすごいことである。それは世界中にすごい勢いで影響を与えている」のだと。

 たとえばボスニアで、子どもを地雷で失っている母親がとても悲しんでいたときに、我々がここで瞑想をすることで、その悲しみが少しやわらぐかもしれません。あるいはアフリカで飢えている子どもたちが苦しんでいますが、我々がここで瞑想することによって、それが少し優しい思いに変わるかもしれません。そのくらい大きな影響力を持っているのだということを何度も何度も言っていましたが、まさにダライ・ラマも同じことを言っていたのです。

 そこで、これはひとつの原則であるかもしないということを思いましたが、そういう意味では、瞑想に入って、なおかつ音楽を奏でるということによって、瞑想も深まるし、ひとつの場ができて、それが多くの人に、地球上のいたるところに、影響を与えるという考え方はとても素晴らしいと思いました。

 それが本当かどうかということは証明しようがありませんが、そう思って瞑想に入ると、瞑想もいっそう意義があるように感じられるのではないかと思いました。

 もしそうだとしたら、我々自身もいろんなところで心の平安を得た人の影響を受けているということだし、あるいは闘争的な人の影響も受けているでしょう。それは人間にかぎらず、動物は闘争的になることはそれほど多くはないから、そうした動物たちの影響も受けているだろうし、樹木の影響も受けているかもしれません。

 考えてみると、樹木というのはずっと瞑想しているわけです。樹木の平安は人間の集合的無意識、全体に大きな影響を与えているのかもしれないなということを、このとき演奏しながら思いましたし、演奏が終わってからみなさんにもそのことをお伝えしました。

 もちろん、そうだと断言できるような話ではありませんが、我々がいろいろなところでいろいろなつながりを持っていて、そのうちの我々の心の平安を助けてくれるような存在に対して、もっともっと感謝しなくてならないということを感じました。

 単純な感想を言えば、すごく大勢の人が集まったということと、寝袋だけを抱えてくる若者がものすごく多かった。ヒッピーというのは世の中になくなったのかと思っていましたが、そういう姿形の人がたくさんいるのだということが印象的でしたし、そして彼らがものすごく優しい。あっちこっちで舞台に立たないこういう人たちが輪になって、音楽をやっているわけです。

 その輪の中に入って私も一緒に演奏させてもらって、すごく楽しかった。同行した桐島洋子さんが私に、宮島名物のおしゃもじに「祝・大道芸人デビュー」と書いてくれました。

 それから、この音楽祭そのものがすごい数のボランティアたちに支えられていたのですが、いま何百人というボランティアたちが集まって、こういうことをやっているという世相をあらためて感じました。

 ダライ・ラマは出席できませんでしたが、側近のリンポチェが出席され、料理人が自宅用にとっておいた魚を出してくれたり、みなさんのありとあらゆる歓迎ぶりが印象的だったし、終わったときにボランティアの人たちが感激して泣いていたということも印象的でした。そのボランティアの人のことが朝日新聞に掲載されていましたので引用します。

朝日新聞・窓・論説委員から 6月11日夕刊
 『世界遺産にも登録されている広島県・宮島で、一粒の麦がまかれた。草の根ボランティアという麦である。
 今月初めの3日間、島にある厳島神社で「世界聖なる音楽祭」が開かれ、延べ約8千人が参加して盛り上がった。
 インドネシアのガムラン音楽やオーストラリアの先住民アボリジニーの楽団。インドやラオス、モロッコ、エチオピアなどからも、多彩 な顔が集まった。
 英米で活躍する現代音楽の天才たちも参加、ダライ・ラマが提唱した平和と調和のメッセージを音楽で発信した。日本からは、真言宗の僧たちがチベットの僧たちと同じステージに立って、共にマントラや声明を唱えた。
 盛り上がりすぎ、海を挟んで1キロほど離れた本州側から、騒音への苦情電話が殺到するおまけまでついた。
 準備段階から、運営のすべてを担ったのがボランティアの若者たち。なかには仕事を辞めて専従した人もいた。
 開催日には、スッタフも含めて約400人が全国から集まり、島のキャンプ場に泊まり込んで、役割を果 たした。
 17人の仲間と4日間、ゴミ集めを担当した大阪の女子大生(20)は「この音楽祭がボランティアで成り立っていたことを知って、出演者が感動されたと聞き、とてもうれしかった。生き方が変わりそうです」と話す。
 音楽祭は赤字という。けれども、ここでまかれた麦が各地に根を張り、新しい穂をつければ、収支はきっと黒字になるに違いない』