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| 天外伺朗さんの新春メッセージ |
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昨年末に、拙著『教育の完全自由化宣言』がお手許に届いたと思います。いままでの私の著作の流れからは、まったくはずれた内容であり、唐突な印象を受けられた会員さんも少なからずいらっしゃったでしょう。
私にとっては初の教育問題への取り組みであり、この一年間は、久々の猛勉強をし、膨大な量の本を読みました。しかしながら、書きながら読んでいたので、いわゆる「付焼刃」です。
じつはこの付焼刃方式は私のいつものスタイルなのです。
つまり、何か新しい分野に取り組むとき、その分野の情報は一切勉強しないで、まずは自分の内側から出てくるものを大切にして、いきなり書き始めます。ある程度、自分の考えがまとまるのを待って、それを検証する目的でその分野の本を読みはじめるのです。
このやり方は、技術開発の場でも使ってきましたが、独創性を保つための秘訣のひとつです。逆に、最初に勉強してしまうと、その分野の常識的な枠組みが先に頭に入ってしまうので、独創的な考えが浮上しなくなってしまう傾向があります。
今回のきっかけは、二〇〇六年十一月に安倍内閣の目玉である教育再生会議が、「いじめ問題」に対する緊急提言を出した、という新聞報道でした。「いじめっ子を厳正に処罰する」というのが、その骨子でした。
「何を言うとるんや!この先生方は!アホとちゃうか!」
という印象から出発しました。
「いじめっ子は、特別な子ではなく、ごく普通の、どこにでもいるすばらしい子どもであり、抑圧的な環境下で、いじめに走らざるを得ない何らかの理由をかかえている。したがって、処罰をしても何の解決にもならない」ということは、少し人間のことがわかっていればピンとくるはずです。
日本の叡智を集めたはずの委員会の先生方が、そんな事もわからない、というのは驚きでした。
そこからすぐに、「大脳新皮質シンドローム」という言葉が浮かびました。
物事を理性と論理だけで、表面的にとらえてしまうので、本質にせまれなくなってしまう症状のことです。脳科学的にいうと、新皮質だけが活性化して、古い脳が十分に働いていない状態をさします。そういう症状があることは、はるか昔から気づいていたし、多くの人が、それぞれの表現で指摘しています。
「この言葉ひとつで、いまの社会の様々な病理的な現象も、ソニーの凋落も説明できそうだぞ!」
という、おぼろげな直感が、執筆の動機でした。
私の場合、会社を辞める前の二年間は脳科学に取り組んでおり、本物の脳の解剖実習までさせていただきました。だからこそ、この言葉を思いついたし、本をまとめるにあたって、脳科学的な解説も書ける自信があったのです。
この時点では、まだ教育問題に取組む気持は毛頭なく、出版社に連絡した仮のタイトルは『大脳新皮質シンドローム』でした。
ですから、最初の方は教育再生会議と同じような国の委員会の問題点に多くの頁数を割きました。
国の政策のほとんどは、委員会の答申にもとづいて実行されます。私自身も何度も委員をつとめましたが、委員会は必ず「大脳新皮質シンドローム」の患者たちによる、トンチンカンな答申を出します。したがって、国の政策は実質的には、すでに大部分が破綻している可能性すらあります。
この本では書かなかったのですが、私たちがいま、主として取組んでいるホロトロピック・ムーブメントの関連の、医療問題を見れば明らかでしょう。小泉内閣の医療改革は、改革とは名ばかりで、医療システムの本質的な問題をまったく掘下げることなしに、単に患者の負担を増やし、診療報酬を削っただけです。結果として、ただでさえ苦しかった病院の経営がジリ貧になり、日本の医療全般の破綻へつながってしまいました。
国が動けば、動いただけ、必ず破綻が拡がる、というおぞましい構図が出来上っています。そのすべてを「大脳新皮質シンドローム」という言葉で説明できそうなのです。
書き進めていくうちに、二つのことに気づきました。ひとつは、歴代内閣が進めてきた、いわゆる教育改革が、すべて教育の破綻につながっていること。
もうひとつは、いまの日本の教育システムが、大脳新皮質シンドロームの患者を大量生産する仕組みになっており、その患者たちが社会の上層部に座っていること。
そのことから、「教育界への七つの提言」が生まれました。
この時点になって、ようやく私は、この本は教育改革の本なのだと自覚しました。最初のきっかけが、学校における「いじめ」の問題でしたから、めぐりめぐって、また教育に戻ってきたのです。
じつは、いずれは教育改革の本を書きたいという、ほのかな願望はずーっと持っていたのですが、それがこの本だとは露ほども思っていなかったのです。
それから猛勉強がはじまりました。
私自身は、教育とはまったく縁のない世界で六十五年の人生を過ごしてきており、教育改革の本を書くとなると、教育界の一般常識を一応すべて身につける必要があるからです。
いままで、裸一貫、新しい分野に飛び込むという経験は何度もしていますが、勉強をしていてこれほど興奮したことは生まれてはじめてです(長生きはするものですね)。
私の七つの提言は、いまの教育界の現状から見ると、かなり素頓狂なのですが、名だたる教育者の提唱する教育学は、表現こそ違うものの、そのほとんどをサポートしていることを発見しました。
一面、私の発想がたいして独創的でなかった、ということですが、他面では、多くの先輩たちのサポートを受けて、私が堂々と主張できることを意味しています。私のように空論を述べているのと違って、彼らは何十年という実践を通じて有効性を証明してきています。
したがって、日本の教育を抜本的に改革するのは、きわめて簡単です。彼らの教育学を自由に実践できるようにすればよいのです。
そこから、『教育の完全自由化宣言』というタイトルが決まりました。
さて、この一年間、ひとりで興奮して執筆活動を続けてきましたが、この本を会報として皆さまにお配りすべきか迷いました。今までとあまりにも方向性が違うからです。
古くからの会員さんのぼやきが聞こえてきそうです。
「・・・・死に方研究会だと思って入会したら、いつの間にか医療改革に取り組む会に変身しており、その驚きがおさまらないうちに、今度は教育改革かよっ!」
じつは、皆さまにはお伝えしておりませんが、私自身はその間に、企業の経営改革にも取り組んでいます。
医療改革、経営改革、教育改革と、一見するとバラバラな問題に取り組んでいるように見えるでしょうが、じつはいずれも人間の存在の本質に根ざして発想している、という共通点があります。
つまり、二十一世紀の医療、企業、教育はどうあるべきか、を示しているつもりです。
それはとりもなおさず、いま私たちが直面している「巨大なパラダイム・シフト」という社会の大変革の姿の一部を浮き彫りにしている、ということです。
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