ホロトロピック・ネットワーク天外伺朗の部屋(慈空庵)メッセージ>2007年01月    
 

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2009年2月『沈みゆくタイタニック号』(新春メッセージ)

 百年に一度という大不況に突入して年が明けました。
  どこからともなく声が聞こえてきました(空耳かも・・・)
   新年おめでとう
   大不況おめでとう
   いよいよ、来ましたね!

  かつての東ドイツで生まれ育った人がこういったそうです。
「これって、昔学校で教わった通りじゃない!」
  共産主義国家では、欲の追求が主体の資本主義は、いずれ大恐慌が起きて破綻し、その後は共産主義の時代になる、と教えてきました。ところが、その共産主義はとっくの昔に破綻しており、だからこそ東ドイツは西ドイツに併合されたのです。
  つまり、「船が沈没するので次の船に乗り換えてください」といわれていたのに、次の船の方が先に沈んでしまったのです。
  かくして私たちは、代替船もないまま、沈み行く船の上で右往左往しているのです。映画「タイタニック号」の一シーンのようです。
  でもこれって、ちょっと胸がときめきませんか?私の性格が異常なのかもしれませんが、強烈なロマンを感じて、毎日ワクワクしています。でも、ディカプリオみたいに、あっさり死にませんよ!
  しぶとく生き抜く自身があるからこそ、ワクワクしているのです。皆様もしぶとく生き抜いてください。そして、、三百年に一度の壮絶な歴史のドラマを楽しんでください。どんな映画もミュージカルも、この歴史のドラマの大スペクタクルにはかないません。
  じつは、次に乗る船は、ちゃんと用意されています。ただ、あまりにも型が違うので、皆様の目には船に見えないだけです。
  その一部の姿は、いままでお話してきました。たとえば、医療システムです。
  「医療崩壊」という悲鳴が頻繁に聞こえてくるようになりました。その原因は小泉内閣の医療改革だったといわれています。
  もちろん、それは間違いといえませんが、きわめて 皮相的なとらえ方です。これもじつは沈みゆくタイタニック号の、ひとつの局面なのです。
  本会発足とともに発行された共著書『こんな病院が欲しい』(毎日新聞社)で、私は「病院」の根本的な矛盾を指摘しました。
@貨幣価値を中心とする産業構造の中で、「利益センター」としての病院の位置づけ。
A収益の基本が、病気の治療の対価であること。

  産業というのは、成長期を経て成熟期に入ると収益が圧迫されるという宿命があります。医療産業も例外ではありません。
  他の産業なら、新規製品やサービスを開発したり、顧客やマーケットを新たに開拓すれば成長の余地は必ずあります。ところが、医療産業では病院の数を増やすか、ひとり一人の治療費を上げるしか成長の手だてはありません。
  つまり、成長を基調とする産業構造には、もともとなじみ難い業種なのです。うがったいい方をするば、医療産業の存在そのものが、病人を増やし治療費を増大させるという力学を秘めているのです。個人の負担は限度があるので、国庫の負担を際限なく増加させぬ限り、どこかで崩壊に向かうシナリオがあらかじめ存在します。
  いま、医療者は信じられないほどの過酷な労働条件のもとで、私生活を犠牲にして、患者のために病院のために頑張っています。にもかかわらず、患者との信頼関係はかってなかったほどゆらいでしまいました。
  それは、「住民の不幸の増大(病人の増加、余分な医療行為、治療の長期化など)」が「病院の収益の増大」に直結しているという、根本的なシズテムの矛盾から来ています。
  医療産業が成長期にある間は、純粋に患者のためだけ思って医療を行っても、病院は十分な利益が上がりました。成熟期に入って、医療者に対する収益プレッシャーが強くなると、必ずしもそうとはいえなくなり、社会全体として患者との信頼関係が崩れていったように思います。
  現行制度の下で、医療者に収益を強いるのは残酷な行為です。
  したがって、抜本的な解決は「病院」をなくすことしかありません。
  「住民が病気にならないようにケアする」「病気になったら意識の需要を密かにサポートする」「出産や死、心や魂のケアをする」「受胎から死後まで、その人の人生全般をサポートする」といった、「ホロトロピック・センター」に変容していけばいいのです。
  それを、ローカルな健康保険として運用できれば、住民が病気にならないほど収益が上がるシステムとなります。つまり、住民の幸福と収益が直結しているので、システム的な矛盾はなくなります。
  いまから百年後には、「病院」という概念は完全に消滅しているでしょう。
  つまり、病院は沈みゆくタイタニック号固有の施設であり、次に乗り換える船には存在しないのです。
  さて、いまのタイタニック号では、「教育」というと子どもが対象ですが、次の船では生涯教育を意味するようになるでしょう。
  内容もかなり変わります。知識や技術の習得の必要性が無くなる訳ではありませんが、優先度は下がります。そのかわりに、死ぬまでに人間としてどんな境地に達しているかという「意識の成長・進化」が中心課題になります。
  ホロトロピック・センターでも、病気の治癒も変容も、健康維持も、すべて意識のありようが問題です。つまり、やはり、「意識の成長・進化」が中心課題なのです。
  その意味では、次の船では医療と教育の境界は限りなく低くなっていくでしょう。
  さて、肝心の次の船の形ですが、よく知られた資本主義型でも共産主義型でもないことは確かです。いまだにその姿はよく見えず、したがって名づけようがありません。
  ただ、タイタニック号にそびえていた、2本の巨大なマスト・・・
@株主資本の最大化
A産業・経済の成長
・・・などという基本ドグマは、もうありません。
  おぼろげながら見えているのは、フラットで大きく、ゆったりした船型で、船というより浮き島に近いかもしれません。資本主義型や共産主義型のように、波を蹴り立ててさっそうと走るのは無理なようです。戦闘的でもないでしょう。
  2006年にノーベル平和賞を受賞した、ムハマド・ユヌス氏は利益追求ではなく、社会貢献を最優先にしたソーシャル・ビジネスを提唱しています。今後、企業とNPO,NGOの境界はなくなるでしょう。
  利益にかわる企業の最大の目的は、社会貢献のほかには、経営者や従業員の「意識の成長・進化」になります。すると、法人会員としてホロトロピック・センターに加盟して、従業員の健康や魂のケアをお願いするのが当たり前になるでしょう。次の船の名はひょっとすると「ホロトロピック号」になるかもしれませんね!
                    (ニュースレター「まはぁさまでぃ」Vol.48より)        

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