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2007年12月『マトリックス論について吉福さんと語る』

 前回のナイトサイエンスと今回のナイトサイエンスで、吉福さんと私の間で、企業のマトリックスに関して色んな質疑応答がありました。聞かれていた皆さんは、いったい何が話されているのか、二人の立場のどこが違うのか、ポイントは何なのか、なかなか理解できなかったと思います。それを補うような事を説明しないまま二人の中で済ませてしまって申し訳ありませんでした。実はあの会話の中で、企業マトリックス論は解決をしておりますので、順を追ってご説明したいと思います。
先ず日本の企業で何が起きたか。
かつての日本企業は従業員に対する面倒見が良く、一種の年功序列で、いったん就職すると定年まで過ごせるという、比較的良い人生が歩めるように設計されていました。定年後も企業は色んなサポートをするということを現実にやってきて、それはそれで一つのシステムとして完結していたのです。
ところが九十年代のはじめにバブルが弾け、焦り狂った日本の経営者達はアメリカ流の合理主義経営というのを持ち込んでしまいました。例えば成果主義を導入し、それまでの企業文化が破壊されました。結果的に富士通を始め、ソニーもそうですけど、合理主義経営を持ち込んだ多くの企業は業績が低迷し、しかも心身が不安定になってうつ病になる従業員も増え、地獄のような様相を呈していきました。
私自身間近でそれを見ていて、企業経営とは何かを考え始め、「マネジメント革命」という本を書きました。
基本的に何が問題かというと、かつて存在した企業のトップと従業員、あるいは上司と部下の間の非常に強固な信頼感が損なわれたということです。信頼関係の喪失によって、皆安心して仕事ができなくなり、精神的にも不安定になっていきました。ですから、信頼感をきちっと噛み合わせるためには、どういうマネジメントが必要かをポイントに考えてみました。かつてのソニーに明らかに存在した信頼感は、どうやって培われたかということを中心に企業経営論を一つ作り、いま天外塾としてその経営学を講義しています。

私は企業マトリックス論から見て、信頼感の喪失はいったいどう見えるか、ということを中心に質問したわけですが、吉福さんとの質疑応答では、表面的にはうまく噛み合わなかったと見えたとおもいます。吉福さんは、マトリックスから脱出する、というところに重点を置いてお話しになっていたからです。
母親というのは乳幼児の時には絶対必要なマトリックスで、その時には母と子の信頼感が無いと子供は育たないわけで、そこに信頼感があるのは当然のことですが、ある時期になると子供は母親のマトリックスから脱出し次のマトリックスにいかなくてはいけない、というのが吉福さんの話の主題でした。そのマトリックスの変遷の話の中で、僕が信頼感の話を持ち出したものだから、吉福さんはそれに対して、信頼感が無くなったのは、企業のマトリックスから脱出できるチャンスだからすごく良いのでは、という答えになりました。僕の観点と違ったように聞こえたと思います。
しかし、私の問題設定も吉福さんの答えも、じつはマトリックスの違う側面を扱っていたのです。
マトリックスは二つのポイントがあります。
一つは、そのマトリックスが必要な間は、ちゃんと信頼関係が出来ていないといけないということです。例えば母親の場合、乳幼児の面倒をちゃんと見て、排泄物の処理をして、お乳や食べ物を与えて世話をして、十分な信頼関係を培って、安心してそのマトリックスの中で育つことができるという、絶対的な必要性があるわけです。それが、マトリックスの存在の一つのポイントであり、企業マトリックスにおいても同じことがいえる。これは全く間違いの無いことで、僕の質問はこの状態に対しての質問であった。
日本の企業において信頼関係のある状態の企業マトリックスが、合理主義経営の導入によって、壊れてしまったということを問題にしていたわけです。ですから、マトリックスの一番目の意義というのは、まず完全に保護をして、完全な信頼関係を培って、ちゃんと面倒を見て成長を見守るということです。 
吉福さんが問題にしていたのは、もうひとつのポイントで、マトリックスに取り込まれてしまうと、そこからなかなか成長できないということです。たとえばその状態でずっと従業員がいると、その従業員は、企業のマトリックスの中に取り込まれてしまい、極端な依存状態に落ち込みます。日本の会社は、そういう人であふれかえっていました。
それは、ちょうど母親のドラゴンから逃れられないでもがいている大勢の娘達と同じ状況です。 それは従業員にとっても不幸だし、企業にとっても不幸だから、早く脱出出来るようにならないといけないということを彼は強調したわけです。
いま、日本でワークショップをやると、母親のドラゴンで苦しんでいる娘達がものすごく多いわけです。息子の場合もあるし、父親との問題もあるけど、文明社会で大きな問題になっているほどです。吉福さんは、「日本ではあまりにもそれがひどいので、面白くないから封印する」とまで言う状況でした。従って、彼の視点としては、マトリックスから脱出するというところに一番に力点が置かれていたものですから、最初の保護するというところに力点を置いた僕の質問に対して噛み合っていなかったというのが真相です。
正しくは両方とも必要なんです。マトリックスというのは、先ず最初の段階として、ちゃんと保護してきちっと育つことをやらないといけない点では、信頼感が一番大きなポイントになります。
これは、ボウルビーという心理学者がその辺の研究をしていて、ぼくの本でも引用しました。例えば、お母さんの膝の上にいる子供は、新しいものに盛んに興味を示すんですが、自分の安全性が確保できない時には、今まで知っているものにしか手を出さないという現象があるんです。ですから、自分の身の安全がしっかり確保できると本人が思っていないと、冒険的なことはできなくなってしまう。これは企業にとっては命取りになるということです。ですからある時点までは、それはきっちりできないといけない。
日本の場合だと、日本中の企業で、その関係が破壊されていったという事実が、先ず一つある。これは、乳幼児をほったらかしにしている母親に相当します。しかし、かつての日本企業が良かったかというと、そうではなく、問題は企業べったりの人が山ほどいたわけです。
僕らぐらいの年齢だと、自分の私生活も家族もすべて犠牲にして、企業の為に尽くすのが従業員の務めだという、個人の尊厳よりも企業が重視されていた時代を経験しています。これはある意味では、企業というマトリックスにとりこまれてしまって、自分自身が確立できない人があまりにも多かったということです。つまり日本社会では依存の残った中期自我のまま死んでいく人が非常に多かった。
従業員は滅私奉公をするのがあたりまえで、企業に対する依存が非常に強かったし、企業もそれだけ良く従業員の面倒をみていた。つまりある意味では、依存させるようにしていたのです。それが、個人の成長にはブレーキだったということでもあるわけです。
ひとつ吉福さんとの質疑の中で明らかになってきたことは、まだそういうことに対して、意識を持っている人は殆どいないと思うんですが、企業の経営というのも、従業員がそこから脱出して、次のレベルのマトリックスに行くということを前提として、運営していかなければいけないということです。
次のマトリックスは、今までと違う先端的なカルチャーを持った企業でも良いし、あるいは企業から全く脱出して、違うマトリックスを頼りに生きていくということでも良い。一つの企業で、それに依存して一生終わるという生き方というのは、そこで一つの限界が出てきてしまうわけだから、まずその企業のマトリックスを卒業するということが必要です。企業の役割として従業員が成長して、次のレベルのマトリックスに移っていく為の準備をお手伝いをするということです。
今回の吉福さんとの議論の中で明らかになったのは、今までの企業経営の中では、従業員が次のレベルのマトリックスに移っていくという概念が全く無かったということです。企業マトリックス論を考えていきますと、それがまともな人間の成長のプロセスであって、ずっとそのマトリックスに依存し、とりこまれたまま過ごすというのは決して健全な状態ではない。一人一人がそれを認識し、企業側もまた認識して企業を運営しないといけないということです。
具体的にはこれから考えなくてはいけないんですが、吉福さんとのディスカッションの中から、非常に新しい視点が見えてきて、企業マトリックス論のこれからの課題と新しい方向性が明らかになってきました。 皆さんが聞かれていると何が何だかわからないような質疑応答の中に、実はこれだけの内容があったということをお伝えします。

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