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2001年12月『指導者と長老に見るリーダーシップ』

 先月はテロに対する心理学的な考察をしましたが、そのあとひじょうに興味深い本を読みました。それはアーノルド・ミンデルという人が書いた『紛争の心理学』という本です。原著は1995年に書かれていますが、日本語訳が出たのが9月20日ですから、ものすごくタイミングがいいときに、タイミングのいいテーマの本が出たことになります。そのなかには「テロリストと向き合う」という章があります。

 いま世の中では、ほとんどのことが深層心理学的なとらえ方とは無関係にあります。いちばん簡単なのは正悪二元論で、テロリストは悪いやつだからやっつけようという論調です。これは先月話しましたが、深層心理学ではもっと深く追求しています。したがって、今の世の中ではこの本は必読書ではないかと思い、今日はこの本をみなさんに紹介したいと思います。

 ミンデルという人は最初、理論物理学を専攻したのですが、それを勉強するためにスイスに行き、そこでユング心理学に触れ、理論物理の修士を終えてから博士課程はユング心理学を学んでいます。しばらくユング派の精神科医として臨床経験を積んだあとに、プロセス指向心理学という新しい心理学を提唱しています。

 その心理学自体をここで解説する余裕はないのですが、彼はそこでワールドワークということをやっています。普通 の心理学というのは個人を対象にして、個人の精神の問題を扱うのですが、ワールドワークというのは、人間集団を扱っています。社会集団が抱えている深刻な問題を解決するための手法です。

 いままでの解決策は力でするか、どちらがいいか悪いか決めて、悪い方を逮捕するとか、説得するということで解決してきました。ところが彼は、いろいろな問題を深層心理を扱うことで、これまでのような解決方法ではなく、融合していくという手法をとっています。

 なぜワールドワークという名前が付いているかというと、世界的な問題をその手法で解決しようというのがその狙いです。実際には数十人から千人くらいの集団トークを行いますから、問題の大きさに対して人数がひじょうに少ないですから、問題を一挙に解決というわけにはいきませんが、少なくともその集会に出た人には魔法が起きています。

 ものすごく深刻な対立や紛争がきれいに溶解していくのです。それは何が良くて何が悪いか、何が正しくて誤っているかということとは無関係に、溶解していくわけです。それが深層心理的であって、理性の闘いではないことが鍵です。

 たとえば、すでに殺し合いがしょっちゅう行われているアメリカの黒人街だとか、ひじょうに抑圧されているアメリカ先住民だとか、紛争の絶えないアイルランドとか、カースト制と近代化が葛藤しているインドだとか、イスラエルとイスラム勢力が対立しているパレスチナだとか、ひじょうに深刻な舞台で抗争の当事者たちを集めてワールドワークをやって、実際に大きな成果 をあげています。

 ミンデルは、これまでの民主主義のやり方とはまったく違うやり方をとっています。民主主義というと、いわゆる理性と論理に基づく、ある意味では冷静な話し合いが推奨されます。そのような冷静な理性的な話し合いをいくらやっても、そういった深刻な対立のなかに融合はないわけで、ミンデルのやり方というのは、感情をむき出しにすることをむしろ推奨するわけです。そして、そういうのが浮上してくるのを一生懸命待ちます。怒りとか、恨みとか、激怒とか、そういうことが浮上してくるのを待つのです。そしてそういうことのなかに、タオを発見するといういい方を彼はしています。

 タオというのは、中国の老荘思想の「道」と書いてタオと読ませるのですが、彼の方法というのは、ユング心理学とこの老荘思想から発展させたものだと彼自身語っています。そういう激しい感情を顕わにしたときに、人間というのはペルソナがはずれ、シャドウの深いところを抑圧していたものが出てきて(このあたりは先月号をお読み下さい)、それを互いが共有するように持っていくという方法です。

 そういうことをやってきていますが、それがひじょうに実績を上げてきています。そのなかで彼はテロリストとも何度もワールドワークをやっているのです。テロリストたちが基本的にどういうことから生まれてきて、テロリストを作ってしまうのかという深層心理や環境について聞き出し、深層心理的な背景というのをきっちりつかんでいます。

 じつはミンデル自身、小乗仏教、上座仏教のヴィパサナ瞑想というのがあるのですが、それを永年実習してきていて、それが随所に出ています。そういうものとユングも影響を受けた東洋哲学を勉強してきています。

 ワールドワークのリーダーをファシリテーターと言いますが、ふつう心理学を修めてカウンセラーになる際にはスキルが必要になります。手法に対して熟練が求められるのですが、このワールドワークのファシリテーターというのは、スキルだけではだめです。メタスキルといって、スキルを超えたレベルの人でなければ、このファシリテーターは務まりません。

 具体的には心理学的手法はわかっていなければなりませんが、そこではひじょうに激しい場を作ってしまいますから、その困難さから逃避せずに紛争の炎に耐える強靱さがあって、そういう激しいプロセスの中からタオ、要するに英知を発見する繊細さと霊性の高さが要求されるのです。こういうファシリテーターを養成するための訓練を「戦士の歩み」といいます。戦士というのはアメリカ先住民族の「ウォーリァー」ということですが、武器を持って闘う人のことではなくて、創造主の導きに従って人間として正しい道を歩む人のことです。そしてその正しい道のことを「赤い道」と呼び、その赤い道を歩む人のことを戦士と呼ぶのです。

 そういう後ろ盾からしてひじょうに宗教的なところがあるのですが、先住民たちはこういうふうにやっており、ミンデル自身、そうした先住民の世界を詳しく知って深い感銘を受けています。その先住民の長老という存在が、ファシリテイターの目標だと語っているのです。

 そして先ほどの本の中には、「長老のメタスキル」という1章がありまして、そこにはいろんなことが書かれていますが、その項目を紹介しましょう。

1.
指導者はロバートの秩序に従うが、長老は霊(スピリット)に従う。(今、我々が国会やさまざまなところで議論するやり方というのは、ロバーツ・ローといって、ロバートの法則に基づいて議論しています。これはまず動議を出して、動議に賛成する人がいます。あるいは動議の反対意見があり、公平にその意見を聞きながら、最終的には多数決をとるというのが、ふつう民主主義といわれる議事の進め方です)
2.
指導者は多数派を好むが、長老はみんなの味方をする。
3.
指導者はトラブルを見ると、それを止めようとするが、長老はトラベルメーカが何かを教えてくれようとしているとらえる。
4.
指導者は正しくあろうと骨を折るが、長老はすべての中に真実があることを示そうとする。
5.
民主的な指導者は民主主義を支持する。長老はそれも行うが、また独裁者やゴーストにも耳を傾ける。(ゴーストとは隠され、無意識レベルに抑圧された文化的亡霊のことを意味する)
6.
指導者は自分の仕事をうまくこなそうとするが、長老は他の人たちも長老になるようにうながす。
7.
指導者は賢くあろうとするが、長老は自分自身の考えを持たず、自然の出来事に従う。
8.
指導者は考える時間を必要とするが、長老は何が起こっているかを自覚するためにほんの一瞬を要するだけである。
9.
指導者は知っているが、長老は学ぶ。
10.
指導者は行動しようと試みるが、長老はなるがままに任せる。
11.
指導者は戦力を必要とするが、長老はその瞬間から学ぶ。
12.
指導者は計画に従うが、長老は神秘的な未知なるものを尊重する。

 ここで長老というのは、アメリカ先住民の長老のことを言っているのであり、ワールドワークのファシリテーターに求められる資質を言っています。これはじつは新しいリーダーシップのひとつのあり方を示していると私は思っています。これまで近代文明社会においてリーダーというのは、まるで軍隊の指揮官のようなリーダーシップが求められてきました。ですから会社やふつうの組織でも、ある先見性もってビジョンを話し、組織の出来事を示して命令をします。メンバーは指導者の命令に従わなければなりません。それが一般 的なリーダーシップのあり方です。

 ところが長老というのは命令を一切発しません。ビジョンもありません。どちらかというと、いま何が起きていて、いま目に見えない流れがどちらを向いているかということに関して、それを鋭く感じ取って、それに従うように導きます。

 日本的なマネジメントというのは、じつはこの長老に近いようなマネジメントがこれままで行われてきたのです。要するにマネジメント自体が「よきにはからえ」といって、あまりリーダーシップをとらないマネジメントというのが、日本には存在しました。

 ところが、そんなのはリーダーではないと徹底的に批判され、リーダーというのはすべてを把握して命令しなければならないという風潮になってきたのが最近のことです。たとえばGEのジャック・ウェルチ氏のような人物が歓迎され、日本では経営の神様のようにとらえられています。私はこれは19世紀から20世紀のやり方だと思っています。ジャック・ウェルチの時代はもう終わったと。

 ジャック・ウェルチは、ひじょうに厳しい目で部下を見、競争させてみんなが闘って闘って、戦い抜いて勝っていくというマネジメントをしてきました。それはそれでGEという会社の企業価値が上がったということで評価されていますが、それで人が育ったかというと、そこで育っていった人間というのは、みんな後期自我で止まっています(先月号参照)。

 後期自我というのは、ひじょうに強固なペルソナを持って、それはもちろん社会的に賞賛されるようなペルソナですが、それ以外のところはシャドウとして抑圧して、社会生活を営んでいます。今の世の中は理性がすべてだと思われていますので、後期自我が人間の完成型だと思われています。ところがそれはシャドウというのを同時に作ってしまうから、とかくシャドウを誰かにプロジェクションして闘いがちなところがあります。人々はそういう正義の闘いをつねに仕掛けています。

 その正義の闘いのパワーを企業経営に使ったのがジャック・ウェルチです。あるいはアメリカ流のリーダーシップであり、アメリカ流の経営方法です。けれど昔の日本のどちらかというと、「よきにはからえ」というスタイルのマネジメントというのは、むしろアメリカの先住民の長老に近かったのではないかと思います。叱責してムチで闘わせるのではなく、単に存在していて、むしろ抱擁する。それによって人々がエンジンをかけてきたのです。ですからあまり上長が命令したり、ビジョンを示したりしなくても、うまくいくというケースです。

 それはひじょうに極端なマネジメントの仕方であり、その中間はいくらでもあります。でも、どちらかというと、長老型の方が未来のマネジメントだと私は思います。ジャック・ウェルチのようなやり方をやっていきますと、世の中に闘いは絶えることはありません。みんな強固なペルソナをもち、シャドウを隠して闘っていく、その結果 が今のテロの方向に結びついてしまった。あるはテロを受ける方向にもなった。

 日本はそうじゃない伝統がそもそもあったわけですから、それをむしろ大切にした方がいいのではないか。今ジャック・ウェルチを追いかける経営者はもう古いし、それは20世紀の遺物だというふうに私は考えます。